たかのちょうえい高野譲
悦三郎、沢三伯、伊東瑞渓、奥州水沢の無実の男
文化元年、水沢の後藤家(のちに後藤新平を出す)に生まれ、母の実家の養子となる。領主の留守家はその名の通り陸奥鎮守府の守備隊長だった名門であり、 今は家来扱いだが本当は伊達より家格が上なんだぞ!という屈折したプライドが水沢人気質になっていた(今も?)。漫画にあるような波乱をへて、 紀州藩の遠藤勝助が主催する社交クラブ「尚歯会」に入れるまでに出世した。
尚歯会で出会った長英・崋山・三英らが、互いの知人を紹介しあって作られたグループがいわゆる 「蛮社」であるらしく、両者は重なっているが別物である。また蛮社メンバーの中でも思想信条には違いがあり、それぞれの立場から本音建前を韜晦して発言しているので、 実態がどんなものだったのかは研究者によって意見が分かれている。
さまざまな業績を残した長英だが専攻は生理学であった。これはいくら腑分けを見学しても理解できるものでなく、 洋書に書いてある抽象理論を解読しなければならない。それまでの蘭学者が「とにかく分かるところから読んでいく」だったのに対し、長英は基礎文法から体系的に学習し 明確な方法論をもって翻訳を行った(これはシーボルトの教えだけでなく、長崎通詞たちの長年にわたる研究成果の恩恵とみるべきだ)。 長英の語学力が凄かったというのはそういうことである。
天保の大飢饉に際して長英は「救荒二物考」を出版し、日本人に食物としてのジャガイモを知らしめた。 青木昆陽が甘藷先生ならば、高野長英は馬鈴薯先生なのだ。
長英はモリソン号事件での幕府を批判し「夢物語」を書いた。モリソンが船名であることは知っていたようだが、 幕府を脅かすためわざとミスターモリソンと混同したらしい。しかし幕府はそんなこと先刻承知であった。いい加減なこと言うなというので終身刑になる。
日本中を逃げ回りながら訳した「三兵タクチーキ」とは砲兵・騎兵・歩兵の三種を統合運用するナポレオン時代までの戦術論であり、 戊辰戦争のころは既に時代遅れの代物だったが、意外や前島密が郵便システムを構想するとき参考になったという。平和利用されて良かったね。
あとはマンガにあるような展開で、嘉永三年死亡。
※宇和島藩において長英に学んでいた土居直三郎という藩士がいたが、この人は藩が長英を追い出したのに抗議して、 その後不遇な一生に終わったらしい。その土居一族の末裔が映画監督の伊藤大輔で、先祖の恨みから武家社会を批判する傾向時代劇を多く作った。 すなわち日本映画史のルーツは長英一件にあるのだという。
十三124-175,235-263十四16-19,25,40-41,62-63,152-172,207,258,262,280,293-295十五125-141,156-186,191,198-209,212-216,228-272十六53,63,255 十七9,13,48-49,101-102,124,188,221-222,246,256-257十八33-50,66-76,91-113,121-122,131,134,159,269十九31-33,90,222-296二十 41,52,73-86,98-113,120-127,150-156,164-168,219-236,256-286
幕末一13,15,19,35,150,189二22四122,189五24,180,207-209七95八82十40十一104,111十四184,192十八146十九120 二十四112二十五100,133三十一22三十四108
A・田中弘之「『蛮社の獄』のすべて」(2011.吉川弘文館)・「日本の名著25」(1972.中央公論社)・佐藤昌介「高野長英」(1994.岩波新書)・ 鶴見俊輔「高野長英」(1975.朝日新聞社)・青葉高「野菜の日本史」(2000.八坂書房)・山口修「前島密」(1990.吉川弘文館人物叢書)・神津陽「時代劇の父・伊藤大輔」 (2008.JCA出版)
江川太郎左衛門英竜/渡辺崋山/小関三英/ 高野玄斎/高野モト/高野ユキ/杉田伯元/ 神崎屋夫妻/浅草の漢方医/亀田鵬斎/吉田長淑/松原見朴/ 岡研介/青木昆陽/モリソン号と間違えられたモリソンさん/栄蔵 /米吉

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