かわむらうちゅう川村右仲?
浅草材木町の漢方医だという。長英と兄を住み込ませてくれ、亀田鵬斎の友人で、太田錦城(当時江戸で有名だった儒学者)を通じて吉田長淑に紹介 してくれた人だという。しかし長英の手紙以外一次史料を確認できない。光太夫の息子まで紹介してる「武江年表」にも、鵬斎の人脈を網羅したという「都下名流品題」 にも名前がないぞ。かろうじて岩手出身の奇人で川村寿庵という医者を見つけたが、この人の関係者か?
※寿庵は本名元善、文政二年の「江戸今世医家人名録」に 「内・浅草材木町・川村寿庵」とある。金持ちだが暮らしは質素、御三卿からお呼びがかかってもボロ着で往診した。数万巻の蔵書があったが、天明飢饉のとき叩き売って 義捐金にした。林述斎や谷文晁は友人。山に登って頂上で笛を吹いてくるのが趣味だった。山に登るヒマがなければ火消し櫓に上った。とにかく高い所が好き。 文化十二年没?息子の真斎は安藤昌益一派かもしれない。
十三144,152-161,168十八35
上記ほか「日本人物情報大系11・学芸編2」(2000.皓星社)・佐藤昌介「高野長英」(1997.岩波新書)・高野長運「高野長英伝」(1943.岩波書店) ・森銑三「増補新橋の狸先生」(1999.岩波文庫)・よど秀夫「守農太神・安藤昌益」(2009.幻冬舎ルネッサンス)
高野長英/亀田鵬斎/吉田長淑/林述斎 /谷文晁

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