えがわたろうざえもんひでたつ江川英龍
坦庵
韮山代官家に生まれ、天保六年家督を継ぐ。当時江川家は窮乏を極め、家来が香典めあてに腹を切るほどであった。英竜は倹約を徹底し村役人の不正を 糺し領民の支持をかちとり、金融業を営むなどして家を立て直した。その一方沿岸防備のために洋式兵学の研究をはじめる。
幕府代官としての俸禄は百五十俵にすぎな いが、伊豆金谷村に古くからの私有地があった。ここは兵農分離以前の支配形態を残しており、有事になれば村人は足軽として駆り出された。これに高島流調練を施したのが いわゆる江川農兵隊である。近代的発想による徴兵を始めたのは息子の英武の時から。
水野失脚後しばらく不遇だったが、ペリー来航以後にわかに引っ張り出され、 さんざん酷使されて安政二年病死。弟子の多くが咸臨丸乗組員になっている。
※むしろ戦前の方が軍国主義の先覚者?として有名だったようだ。ボブ・ディランがパ クったとかいう佐賀純一「浅草博徒一代」(2004.新潮文庫)には、伊豆に行った語り手のヤクザが江川家末裔の令嬢と仲良くなった話が出てくる。(特に目が大きかったと は書いていない)
十四153,171,258-259,268-269,273-284,293-295十五126-127,136-159,165,175-198,228-238,246-250,261,268-271十六53,63,114-128,166,212-217 十七84-107,112,221-222,246,256-258十八28-30,35,45,52,59-63,94-98,129,150-152,160-161,184-192,269十九32,79,90,97-99,248-288二十8-12,81,114,127-141,173-180,229,231, 237,259,289
幕末一14,35二56,62,79三3,151-161四14,42-51,83-84五3,7-17,34,45-55,66-86,92-93,105-108,184-185六78-79,82,86,121-122七7,10,94-140八48,65,70-108, 136-140九62十39,51,55,86,139十一73,82十二106,135十三44十四188,192-193十五168二十三142二十五59,61二十七22
仲田正之「韮山代官江川氏の研究」(1998.吉川弘文館)・田中弘之「『蛮社の獄』のすべて」(2011.吉川弘文館)
渡辺崋山/高野長英/水野忠邦/阿部正弘/大塩平八郎

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