まつばらけんぼく山田久重
明和二年福井生まれ。最初山田大円の名で眼科をやっていたが薬代を踏み倒し平戸に行く。代償として長英を平戸藩に紹介した。のち上方に去って天保二年伊勢で没。
眼科医としては富士川游「日本医学史綱要2」(1974.平凡社東洋文庫)で一項を立てられている。また平田篤胤と交友があったり国友一貫斎に空気銃を作らせたりもした。 実は結構な名医であったらしい。
十三254-258
上記ほか金子務「江戸人物科学史」(2005.中公新書)・佐藤昌介「高野長英」(1997.岩波新書)
高野長英/神崎屋

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