よしだちょうしゅく吉田成徳
逆さトックリ顔
安永八年、幕府先手同心馬場家の三男に生まれた。母方の叔父の養子となって吉田姓となった。医業を志した理由はよくわからない。
最初は漢方を勉強していたが転向し、桂川甫周に再入門。宇田川玄随「西説内科選要」を読んで蘭方にも内科があることを知り、専攻して内科医院を開業した。
文化七年よりは加賀藩医官になり、藩主の援助で「泰西熱病論」など多数の内科書を刊行した。
彼はおおらかな性格で人との間に垣根を設けることがなく、初対面の人と出会うやたちまち旧知のごとくなれた。蘭学の話になると貴賎長幼は関係なく対等に議論した。 相手の意見をよく聞いて自分の意見と比較し、どちらが当たっているか考えたという。
マンガにあるような経緯で、文政七年病没。
十三156-175,215,218,230十四167十五141十八35
A・「日本洋学人名辞典」(1997.柏書房)・鶴見俊輔「高野長英」(1975.朝日新聞社)
桂川甫周/高野長英/渡辺崋山/小関三英

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