すぎたはくげん杉田勤
建部伯元
清庵の五男。天明二年に玄白の養子となり天真楼塾を継ぐ。伯元とは玄白の父の幼名である(成人してからの本名はなんと「定信」)。のちに幕府奥医師にもなった。
まじめな人ではあったようだが学者としての評価は「前頭筆頭」で、実父と義父の往復書簡をまとめた「和蘭医事問答」くらいしか目ぼしい業績がない。
七19,103-109八10,272-273九205,239,272-280十一260-262十二51,86十三127,148-161,266十八35
片桐一男「杉田玄白」(1971.吉川弘文館)・佐藤昌介「高野長英」(1997.岩波新書)・鶴見俊輔「高野長英」(1976.朝日新聞社)
杉田玄白/建部清庵/建部亮作/大槻玄沢/高野長英

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