かつらがわほしゅう桂川国瑞
桂川家で甫周を名乗った者は四代・五代(一時)・七代の三人だが、ここでは四代目のこと。学者仲間では月池の号で呼ばれていた。宝暦元年生まれ、文化六年没。
桂川の家伝ではすごいイケメンで、大奥であまりにモテるので嫉妬した田沼に飛ばされた、と言われている。実際田沼派というよりは一橋派に近い立場で、 寄合医師時代も冷や飯食っていたわけではなく、多紀氏と一緒に医学館設立に奔走している。(五代目は多紀家から来た妹婿)
司馬江漢は甫周の光太夫謁見記に難癖 つけて村八分にされたのだが、当人はその後も仲良くピクニックに行ってあげたりしている。とにかくすごい人望家で、医学のみならず儒者・国学者など幅広い交友があった。 いわゆる桂川サロン人脈は幕末の福沢諭吉まで蘭学総本山として知られ、維新後の明六社へとつながっている。
六133-135七71-76,104-108八10,238-242,261-271九275-280十56,200十一82-83,260-261十二51,54-61,70-71,81,86,94,284十三157
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A・今泉源吉「蘭医桂川の人々」全三巻(1965-1969.篠崎書林)
森島中良/前野良沢/杉田玄白/中川淳庵 /解体新書の仕上げを手伝っていた謎の坊主頭の男/林子平/大槻玄沢/吉田長淑/ 司馬江漢/須原屋市兵衛/千賀道有 /松平定信/亀井駿河守/大黒屋光太夫/ツンベリー

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