はやししへい林友直
リンコピン
家系図によると林家の先祖は四国・河野水軍の戦士だったそうで(だから海軍にこだわったのかな?)堀秀政・福島正則などの幕下を転々としたあげく 岡本姓に改め徳川の旗本になったとされている。
子平は元文四年江戸に生まれ、のち一家で仙台に移る。姉が伊達宗村の側室になったので生活の心配はないが、 何か満たされない日々を送っていた。仙台藩に建白書を上申したりしてみたが、ニートが思いつくようなことは藩はすべてとっくに試していたのだった。
古書にいわく、 ある日子平が川で釣りをしていると、通りすがりの旅人たちが朝鮮通信使来聘の話をしていた。子平はそれを聞いて矢も盾もたまらなくなり、釣竿を投げ捨てて江戸へ奔った と言う。
以後漫画に書かれているように、あちこち行っていろいろな人に会い(前野良沢との交際だけ確認できない)「三国通覧図説」「海国兵談」を著した。
子平は溶連菌感染後急性糸球体腎炎という何だか恐ろしい持病に苦しんでいた。聞きかじりの知識でキツネの肉とか食べてみたらかえって病気が悪化した。幕府の苛酷な取調べ がとどめとなり寛政五年に没。妻子はなかったとされているが、仙台の本屋の娘に子供を産ませたという伝説が地元に伝わっている。
※明治になってから「フランス革命におけるルソー・ヴォルテール・モンテスキューみたいな存在が日本史にも欲しいなあ」という話になり、維新の預言者たる「寛政の三奇人」がクローズ アップされたようだ。
四167,187-291五219-221,242-243六52-147,273,281-282,291,302-303七7,14,57-69,111,113,118-127八10,100-104,193-195,209-211,225-227,260-268九 48,203,205,228-232,240-245,258-264十20-23,50,63-68,88-91,95,119,125-131,159,210-212,225-229十一5,83,92-97,168-186,195-201,218,233,239,248-249十二5-12,166十五161- 167,232十六142十八21-22
幕末一12五193-209八61,203十40,181-182十八146二十四143二十七72三十一22
A・「新編林子平全集」全五巻(1978-1980.第一書房)・杉浦守邦「江戸期文化人の死因」(2008.思文閣出版)・J=F=モリス「近世武士の『公』と『私』」(2009.清文堂) ・「偉人史叢・高山彦九郎」(明治29.裳華房)
林源五兵衛/林嘉善/林なほ/林従吾/ 伊達宗村/高山彦九郎/蒲生君平/工藤平助/ 柘植長門守/アーレン・ウェル・ヘイト/佐藤伊賀/藤塚式部/ 中山愛親/須原屋市兵衛/桂川甫周/松平定信/ 新蔵/クラブロート/順道/マシュウ・カルブレイス・ペリー

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