なかがわじゅんなん中川玄鱗
小浜藩医。号は他に純安・純亭・攀卿とも称した。
元文四年江戸に生まれる。父が多趣味な人だったので、その血を受け継ぎ本業以外にも あれこれかじった。宝暦七年、源内肝いりの第一回物産会に出品し(中川の同族が高松にいるらしいので、そちらで縁がつながったのかもしれない)玄白を入れてトリオで の付き合いが始まる。
淳庵の物産会出品リストには、ダチョウの卵とかアロエとか珍しいものがある。どうやって入手したのか良く分からない。小浜藩が密貿易でも していたのかもしれない。とにかく彼は内科医でありながら海外物産に興味を持ち、自分でも色いろ工夫して作っていた。源内のアスベスト製作にも協力している。
山形藩医の安富寄碩(工藤平助の知人?)にアルファベットを少し教わった淳庵は長崎屋を訪ねて、滞在中の長崎通詞が「ターヘル・アナトミア」を持っている事を知り、 玄白に購入させた。そしてその翻訳に参加した。さらに江戸へきたツンベリーに師事。
天明五年に藩主について小浜に行くが、ここで発病。北陸の寒さで病は悪化し、 江戸に帰ったものの天明六年六月没。
四129-181,281-292五15,57-70,125-153,159,183-187,198-202,208-219,243,254-267,284-288六7-9,23,51,126,133-135,272-326七7,71-78,104,288-289 八10,106,236-240,271-272九22十200十二61,96,161,282-284十三118十七31
幕末一11九39-44十二45二十三147
A・和田信二郎「中川淳庵先生」(昭16刊・1994復刻.大空社)・片桐一男「杉田玄白」(1971.吉川弘文館人物叢書)
杉田玄白/平賀源内/工藤平助/前野良沢 /腑分けのじいさん/ツンベリー/大槻玄沢/荒井庄十郎/ 桂川甫周/解体新書の仕上げを手伝っていた謎の坊主頭の男/田沼意次/司馬江漢

目次へ戻る