つんべりー | カール=ペーター=ツュンベリー |
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1743年スウェーデン南部生まれ。ウプサラ大学で医学とリンネ博物学を学ぶ。 そもそもこの人はなんで日本に来たのだろうか? 2語式命名法の発明により博物学に革命を起こしたカール・リンネは、この方法で全地球上の動・植・鉱物を分類命名してやろうという野望を抱き、 弟子たちを世界各地に派遣した。アメリカに行ったのはペール・カルム、クック船長と南太平洋を探検したのはダニエル・カール・スーランデルとジョゼフ・バンクス、 そしてアフリカとアジアの担当がツンベリーということになる。 アムステルダム大に三年留学していた縁で、オランダの植物愛好家に支援され1771年日本へ出発。 途中喜望峰で大冒険を繰り返し1000種あまりの新種を発見した。1775年日本到着。植物研究のかたわら吉雄幸左衛門に梅毒の特効薬を教えてあげる。 翌年江戸参府に随行し中川淳庵と桂川甫周に教えた。 1776年帰国。国王グスタフ三世に日本の制度を取り入れることを提案した。王も興味を示していたのだが、 すぐに暗殺されてそれっきりになってしまった。「もしそうでなかったら、スウェーデンも日本と同じように、大名、小名、参勤制度が実施されていたかもしれません」 (ドナルド・キーン) 1782年スウェーデン科学アカデミー総裁、1785年ウプサラ大学学長となる。甫周と淳庵のことが書いてあるのは 「ヨーロッパ、アフリカ、アジア旅行記」など。1828年没。 | |
六131-136,145-147七14,72八270十199-200十二61 | |
片桐一男「平成蘭学事始」(2004.智書房)・西村三郎「文明の中の博物学・上下」(1999.紀伊国屋書店)・ドナルド=キーン「果てしなく美しい国日本」(2002.講談社学芸文庫) | |
中川淳庵/桂川甫周/ヘイト/林子平/キリル・ラックスマン |