だいこくやこうだゆう大黒光太夫
コーダユ
※徳川家康が本能寺の変から伊賀を越えて逃げた時、伊勢の白子浜に辿り着いて地元の船頭さんに船を出してもらい三河に生還できた。 その功により白子湊は幕府の保護を受け貿易港として繁栄するようになった。光太夫一行にとって家康は恩人なんだか仇なんだかよくわからないことだ。
宝暦元年、 伊勢国南若松村の亀屋四郎兵衛の子として生まれた。初名は兵蔵。安永十年に大黒屋の養子になったころは既に船乗りとして経験を 積んでいたようだ。
天明二年に伊勢を出航して難破し、マンガに描いてあるようなすごい苦労の末ペテルブルグに辿り着き、エカテリーナ二世に謁見してお茶を ご馳走になった。現代日本暦に直すと1790年11月1日くらいのことであり、日本紅茶協会はこの日を「紅茶の日」と定めている。
寛政五年に蝦夷地に到着し、 幕府に引き渡された。帰国後は実はけっこう気楽な余生を送っていて、たくさんの人に漂流談を語り残している。享和二年に一時帰郷。天保九年没。
※招待された 「オランダ正月」についての史料は、実はあの絵一枚しかなく、具体的な事は何も判っていない。光太夫がどう思ったかも想像するしかない。
七138-275九29-47,71-94,179-185,246-256,264-271十5-19,30-39,127,136-159,182-202,252-263十一32-51,55-79,107-133,142-165,187-194,201-213,227, 250-255,264-270,280-284十二27-74,81,138,224-229十四29十六71,134,152,282十七236十八233二十200
幕末一13三9四208五204-209十40二十183二十二181二十三159三十一33
E・吉村昭「大黒屋光太夫」(2005.新潮文庫)・「記念日を知る事典」(2006.東京堂出版)
大黒屋光太夫の子/大黒屋光太夫の妻/磯吉/小市/ 新蔵/庄蔵/次郎兵衛/九右衛門/ 安五郎/清七/幾八/与惣松/ 三五郎/勘太郎/藤助/藤蔵/長次郎/ 作次郎/ニビジモフ/キリル・ラックスマン/ アダム・ラックスマン/石川将監/松平定信/亀井駿河守/ 桂川甫周/エカテリーナ女帝/馬車を貸した皇太子/ソフィア

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