名もなき人
天明の大地震にも動じなかったなかなかの大物なのだが、ワイド版7巻以降は姿をみせなくなる。最初はこいつが桂川甫周だったのかもしれない。
前野良沢が「解体新書」から名前を外した後、そのかわり表紙に「参」として名を加えられたのは石川玄常(延享元―文化十二、のちに一橋家侍医)という人だ。 なんか別の洋書を参考に見せてくれたらしい。さらに杉田玄白は「蘭学事始」において、桐山正哲(?―文化十二、弘前藩医)・嶺春泰(延享三―寛政五、高崎藩医)・ 烏山松圓(不詳)などが協力したと書いている。
とにかく日本中の心ある人々に新医学を待望する気運が高まっていたのであって、そういった人々が集約された存在として考えるべきだろう。
四129-139五183,198-201,265-267六272七7,93,104
A・「日本洋学人名辞典」(1994.柏書房)・「蘭学事始」(1998.講談社学術文庫)
前野良沢/杉田玄白/中川淳庵/桂川甫周

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