しばこうかん土田吉次郎のち安藤峻
鈴木春重
江戸のわりと裕福な商家生まれ。幼少から有名になりたくて、まず刀匠か飾り職人になろうと思った。しかし成功するのが難しそうなので画家になる ことにして狩野派を習った。しかし家が没落して学費が続かなくなったので浮世絵に転向。版元に結構評価されて二代春信になりかけた。しかし浮世絵師は地位が低いので 宋紫石(玄白のお隣さん)について漢画を勉強した。実は絵描きとしての本領はこっちにあり、洋画に手を出さなければもっと成功していたとさえ言われる。しかしパイオニア になりたい江漢は良沢にオランダ語を、源内と直武に洋画を学び、玄沢の協力で安永三年銅版画印刷に成功した。
その後多くの絵や書物を発表したが、恩知らずで自己 中心なのでしまいには村八分になった。晩年は若い頃学んだ漢画の世界に回帰していった。
人格に反して詩情豊かな風景画を得意とした。空気感の表現力は他の洋風 画家を断然圧している。「天地の法則をふんまえて描く」は建前で、実作ではレイアウトの都合で富士山の位置をずらしたりもしている。科学性より芸術性。
四283-292五15,57,183-184,198-202,209-212,254-255,265-274六11,23,119-129,174,199-205,223,240-241,273-275,291,302,308-326七7,71-78,93, 104-107,227,265-291八10,106九22,205,272-277十二77-100,292十三112,132十六86十七32十九140
幕末一12
成瀬不二雄「江戸時代洋風画史」(2002.中央公論美術出版)
平賀源内/前野良沢/大槻玄沢/佐竹曙山/小田野直武/桂川甫周/ 松平定信/亜欧堂田善

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