1794年海軍一家の子に生まれ、まずはカリブ海の海賊退治で名を挙げる。この時上官だったのが弘化三年に追い返されたピッドル。外交ではリベリア・ トルコ・ナポリで功績があり、また軍政では機関科を創設し蒸気船を導入、アナポリス兵学校設立と活躍。娘がロスチャイルド一族と結婚するほどの名士になったが、 傲岸不遜の性格で敵も作りまくった。キャリアの総仕上げとして自分が作らせた蒸気戦艦に自分が育成した海兵を乗せてやって来たのが日本来航であった。
日本との交渉は砲艦外交の典型とされるが最近は議論が分かれる。白旗伝説は佐久間象山の手紙などに書いてある話だが、そもそも白旗は「戦意はありません」というだけの 意味であってイコール降伏ではないよ。
帰国後、遠征記の原稿編集を「緋文字」のナサニエル・ホーソンに依頼するが断られた(ペリーかつら説はこの人が広めた)。 代わりに「白鯨」のハーマン・メルヴィルを推薦された(これは読みたかった!)がペリーは嫌がった。結局NYの牧師さんがまとめて出版。咸臨丸の木村摂津守がさっそく 買って帰っている。
1858年没。
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幕末一7,15,34,137,158-166二81-83,204三3,21,37,50,66,119,123-137,146,164-207四75,85-90,94,203五36-42,58-79,90, 95-112,163-201六31,52-55,71,107,112-119,136七12,27-29八209九106-114十27十一177二十二29二十三85二十四168
徳富蘇峰「近世日本国民史・開国日本(一)〜(四)」(1979.講談社学芸文庫)・岸俊光「ペリーの白旗」(2002.毎日新聞社) ・サミュエル=エリオット=モリソン「伝記ペリー提督と日本開国」(2000.双葉社)
阿部正弘/江川太郎左衛門英竜/吉田松陰/ 徳川家慶/林大学頭(幕末篇の)/井戸石見守

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