くどうへいすけ工藤球卿
くど〜
享保十八年、紀州藩医の子として生まれた。仙台藩医の養子になり大繁盛。また青木昆陽・野呂元丈などに雑学を学び、幕府・大名・商人の間で色々 周旋をしていたようだ。天明三年「赤蝦夷風説考」を田沼に献上した。
田沼に意見が採用されて有頂天、蝦夷奉行になる気まんまんだったが、田沼没落とともに娘の 縁談は無くなる家は火事で焼けると不幸が続き寛政十二年没。
娘の真葛も女流文人として有名(父の事は「根っ子がなくてひたすら上へ上へ伸びていく木」と比喩して いる)。また、奥さんの姪が伊能忠敬の三番目の妻。
四261-262,272,275七5-17,103-108,173,227八10,45,59-61,64,70,107,111,221-222九187,241十22,207,219十一20,83,175,180十二51,89
幕末一12,92
「日本の名著25」(1972.中央公論社)・「叢書江戸文庫30・只野真葛集」(1994.国書刊行会)
林子平/青木昆陽/野呂元丈/前野良沢/ 松前藩の浪人/大槻玄沢/田沼意次/松本秀持/ 伊能忠敬

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