なかやまなるちか | 中山愛親 |
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中山家は藤原北家花山院流で、愛親は延享二年生まれ。竹内式部に心酔していた若手公家の生き残りと言われている。 安永三年権大納言 になったが、尊号一件で呼び出された時は辞職して踏歌内弁とやらになっていた。 江戸に呼びつけられたあげく百日閉門の処分を受ける。あれだけとっちめられても その後けっこう長生きして文化十一年没。三代あとが「七卿落ち」の筆頭であった中山忠能。明治になって勤皇倒幕の先駆者あつかいされ、従一位を追贈された。 ※享和元年、 本居宣長を京に招いて進講を受けた。「風雲児たち」の膨大な登場人物の中でも、たぶん宣長と会ったことがあるのは他に蒲生君平だけだ。なんかすごい。 ※※福沢諭吉はあの「痩我慢の説」で、中山を引き合いに出して勝と榎本を批判している。 「例へば彼の有名なる中山大納言が東下したるとき、将軍家を目して吾妻の代官と放言したりと云ふが如き、 當時の時勢より見れば、瘠我慢に相違なしと雖も、其瘠我慢こそ帝室の重きを成したる由縁なれ」 ちょっと持ち上げすぎじゃないですか福沢先生。 ※※※他のマンガだと、オノ・ナツメ『つらつらわらじ』に出てくる中山大納言はもうちょっと賢そうに描かれている。同志の一条卿が主人公の従兄弟という設定なので、 参勤交代の途中で京に立ち寄ったら出くわして定信批判を聞かされたのである。 | |
九259-263十一138,140,218-224,232-234,239-244,246,271-274,297十二78-79十八214 幕末十四30十六177 | |
G・藤田覚「江戸時代の天皇」(2011.講談社)・オノ・ナツメ「つらつらわらじ」全5巻(2010-2013.講談社)・福沢諭吉「丁丑公論・痩我慢の説」(1985.講談社学術文庫) ・「国学者伝記集成」(明治37年刊.1997復刻.東出版)・「偉人史叢・高山彦九郎」(明治29.裳書房) | |
鷹司輔平/正親町公明/高山彦九郎/林子平/竹内式部/岩倉具選/松平定信/光格天皇 |