たぬまおきつぐ田沼意次
田沼龍助、田沼主殿頭
田沼意行の子。享保四年生まれ、幼いころから家重に仕える。宝暦八年、美濃金森家の一揆騒動を解決して名を高める。明和九年老中就任。 完全に政権を掌握したのは安永八年、松平武元の死後であろう。
時代によってこれほど評価の変わる人も珍しい。戦前のイメージは国枝史郎「血煙天明陣」あたりが良いところ。
「外よりは異国の侵略の手延び、内には淫風頽風すさみ、経済困難いちじるしい今日、寄合合議の政事など、なまぬるく、力弱く話にならぬ!…必要なのは鉄腕をもって、 もっぱらに政事をとることじゃ!いっさいを独りで裁くことじゃ!」
「いや田沼も凡才ではなかった、度胸があり目先が見え、世情に通じた調法役者、そういう点では傑物であったよ。 ……眼中に旧慣古例なく、格式門閥を問題にせず、時代に合った調法人と、便利の法規とを自由に使って、相当進んだ仕事をした。――という点は認めていいのう」
戦後になり山本周五郎「栄花物語」あたりから再評価がはじまり、高度成長からバブル期にかけて経済大国ニッポンの預言者に出世した。
「私どものしてまいったことは、 汀に砂を築くことではございません、なるほど、新しい政策の大部分は、内外の反対にあって毀されました、しかしそれは、かれらがその重要さを理解しないのではなく、 私が小身からの成上り者だという、単純な反感から出たにすぎません、彼らのうち毀した政策は、消えてしまったのではなく、いつか再びとりあげられ、正しく運営されるようになるでしょう、 私どもにとって、なにより大切な事は、これこれの政策を実現する、という点ではなく、実現するためにたたかってゆくということでございます」
バブルがはじけた後、 佐伯泰英「居眠り磐音」ではまた悪役に逆戻り。感情抜きに評価すれば、派手な事が好きで新しい物好き、現代人に近い価値観の持ち主、くらいが妥当ではないか。
天明七年老中を罷免。天明八年没。
五124,154-182,198,212,277六22-24,46-49,208-211,260,272,287-293,298,302,315七79-100,135,228,265,277八16-19,35-36,40-47,55-57,62-67,95,105-113, 174,201,212-225,242-248九9,24-28,50-65,95-135,179,195-201,274十53-54十一20-21,180,217十二141,148,208十三55十五130十六176,261十七79
幕末一12,92-98七121二十七47
A・C・藤田覚「田沼意次」(2008.ミネルヴァ日本評伝選)・「国枝史郎伝奇全集5」(1993.未知谷)・「山本周五郎全集7」(1982.新潮社)・佐伯泰英「居眠り磐音江戸草紙シリーズ」(双葉文庫)
田沼意行/田沼意知/平賀源内/ 田沼意明/田沼意正/千賀道有/徳川家治/ 工藤平助/松本秀持/土山宗次郎/松平定信/ 一橋治済

目次へ戻る