たぬまおきゆき田沼意行
※「寛政譜」ではモトユキと読まれているが、ここでは通説にしたがう。
田沼意次の父。先祖は佐野氏の分家が下野国田沼邑に移住したことから 田沼を名乗るようになったそうだが、近在に「真壁」「高家」など清潔なイメージの地名がいくらもあるのだ。子孫の事も考えて引越し先を決めてほしいものである。
吉宗について江戸に行き小姓をつとめ、最終的に小納戸頭取まで進んだ。和歌を冷泉家に学んでおり、のちに意次が歌集をまとめた。また和算も学んだらしく、関孝和の弟子 に出した手紙が相良史料館に展示されている。田沼家の経済感覚はこのあたりから来たものであろうか。
享保十九年、息子が上り坂のうちに幸せに死去。
五174-175
C・藤田覚「田沼意次」(2009.ミネルヴァ日本評伝選)
田沼意次/徳川吉宗/佐野源左衛門/関孝和

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