たぬまおきあき田沼意明
田沼意知の子。安永二年生まれ、天明八年後を継ぐなり奥州へ減封・国替される事となり、家臣の大半を解雇する事になる(もっとも退職金ははずんでいる)。このとき家臣同士で「総選挙」を行い、誰が残るか決めたという逸話がある。さすが田沼家である。
続いて幕府に六万両もの献金を命じられる。でもなんとか完納。そんな状況でありながら従五位下・淡路守の地位を得ている。やっぱりもらうもんはもらってたのじゃないか田沼。
大阪城守衛で在任中、寛政八年没。
九197
C・藤田覚「田沼意次」(2008.ミネルヴァ日本評伝選)
田沼意次/田沼意知/田沼意正/一橋治済

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