さとうのぶひろ佐藤信淵
明和六年羽後・雄勝郡に生まれたという。家は五代続いた学者と言っているがたぶん嘘。天明四年ころ江戸に出て以来あれこれ学ぶ。 文化年間になって平田篤胤に決定的影響を受け、文政期に「天柱記」「垂統秘録」など主要著作が書かれた。
司馬江漢に輪をかけて自己中で虚言癖の信淵は友達が少なく、 特に南町奉行の筒井政憲に嫌われて江戸を追放された。それからは諸藩をまわりコンサルタントみたいなことをしていた。教えをうけたとされるのは水野忠邦・調所広郷・ 田鎖左膳などだが、…なんか悪役系ばかりだなあ。忠邦の計らいで江戸に戻り、嘉永三年浅草に死す。
あらゆる学者の説をパクりまくったあげく農本と重商・ 蘭学と神道・進歩と反動がごちゃ混ぜになった特異の思想を構築している。主著「混同秘策」(文政六年)とは、日本は神国だから世界を支配するべきだ! うまい日本酒で韃靼人を手なづけて満州から中国を征服し、その勢いで全世界を統一しよう!という無茶苦茶な内容である。 しかしその無茶苦茶を後年の大日本帝国がそのままなぞっちゃったので、結果として預言者になってしまった。
戦時中はそれこそ神様扱いで、 批判すれば命が危ないくらいなものだった。戦後その反動で全否定された。
十四153,171-172,280,293-295十五127,136,138,156-163,166,208,231十七222,257十八269二十259
幕末四121-122
「森銑三著作集第九巻」(1975.中央公論社)・「日本思想大系・安藤昌益・佐藤信淵」(1977.岩波書店)
渡辺崋山/高野長英/江川英竜/小関三英/ 林子平/筒井政憲/水野忠邦/調所笑左衛門/ 田鎖左膳/阿部正弘

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