たぐさりさぜん田鎖高行
悪家老
盛岡藩重臣にして上杉流軍学師範。田鎖という悪そうな名前は岩手県内の地名由来で(「トクサの里」が転じたものらしい)、実は中世から続く名家である。
佐藤信淵が江戸を追放されて各地を流浪していたころ、南部藩において歓迎してくれたのが田鎖氏であった。左膳も尚歯会系の開明思想を学ぶ機会があったわけだ。
南部家前藩主は息子を嫌って廃位したがっており、左膳は側近として彼なりの忠義心で上意に従い、藩主を隠居させその弟を擁立した。その過程で江幡春庵などを犠牲にした。
この騒動は幕府の知るところとなり、阿部正弘の介入で左膳一派は免職・財産没収などの処分を受けた。これ以上攻撃すれば幕府の裁定に異を唱える事になるから、 たぶん上司が因果を含めて江幡五蔵は仇討を断念させられたのだろう。
左膳は失脚しても意気衰えず、万延元年に没するまで自宅で若者に教えていた。 彼の薫陶を受けた孫の田鎖綱紀は、明治になって日本速記術のパイオニアとなった。仇討が挫折したのは、結果的に日本文化のため益したと言えるかもしれない。
幕末二40-44三109-110
「三百藩家臣人名事典・1」(1987.新人物往来社)・「角川日本地名事典3・岩手県」(1985.角川書店)・「森銑三著作集第九巻」(1975.中央公論社) ・福岡隆「日本速記事始」(1978.岩波新書)
阿部正弘/佐藤信淵/江幡春庵/吉田松陰

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