いしかわしょうげん | 石川忠房 |
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石川六右衛門 | |
*六右衛門は通称。将監とは「左近衛将監」という官職の略だが、ときどき右近将監に変わっていたりする。 伊丹勝興の次男として宝暦五年生まれ (薩摩藩の治水工事が終わったころ)、明和元年に旗本石川家を継ぐ。若いころは弓道に熱中していたが、忠義な家来に「そんな小事にかまけていてはダメです!もっと大望をお持ちください!」 と諫言され、心を入れ替えて就活にはげんだ。そのかいあって目付に抜擢され、ロシア使節と応接の大役を務めた。 正式には左近将監に任ぜられたのは江戸に帰ってから。 実は遠山景晋と並ぶ能吏であり、その後勘定奉行・道中奉行などを歴任、山口鉄五郎たちの建議を受けて八州廻りを創設するなどバリバリ働き、民百姓から「生神様」と賞された。 光太夫との交流もずっと続けている。 一線を退いたあとは小普請支配(無職の旗本たちを監督する役)におさまり、勝小吉の家出を大目に見てやったりしている。 こうしてみるとなかなかえらい人じゃん。天保七年に没。 ※御子孫の方が「勘定奉行石川左近将監忠房のブログ」を作成されていて、そちらでもっと色々分かるよ! | |
十二31-36,40-41 | |
A・E・勝小吉「夢酔独言」(1969.平凡社東洋文庫)・「国史人名大辞典上」(明治32年刊1997復刻.東出版) | |
大黒屋光太夫/村上大学/アダム・ラックスマン/ 松平定信/山口鉄五郎/勝小吉 |