アダム=キリロヴィチ=ラクスマン
1766年生まれ、キリルの次男。ギジギンスクの守備隊長をやっていたところ、父の代わりに日本へ行く事になった。
マンガに描いてあるような 経緯で光太夫たちを引き渡して長崎入港の信牌をもらった。ここでもう一押し、そのまま長崎へ直行していれば幕府も神奈川条約程度の消極開国は認めていたはずである。 (定信側の史料にそうかいてある)十年もたってから来られてもなあ。
とにかく役目を果たして紋章までもらったのに、その後の消息がぜんぜん不明。 播磨楢吉説では1796年1月17日・木崎良平説では1803年ごろ没。
十一203-213,251-257,264-270,280-285十二25-46,215十六16
幕末三9
E・F・ア=ポロンスキイ「ロシア人日本遠訪記」(復刻1974.原書房)・藤田覚「松平定信」(1993.中公新書)・「北方領土の神社」(2005.神社新報社)
キリル・ラックスマン/大黒屋光太夫/エカテリーナ女帝/トラペズニコフ/トゥーゴルコフ/グレゴリー・ロフツォーフ

目次へ戻る