こいち小市
神昌丸には賄(帳簿係)として乗っていたが、帆柱を切り倒す役目を務めている所からかなり老練な船乗りでもあったと思われる。
寛政五年四月 二日、根室で病死。光太夫の回想によると、蝦夷地に着いたとき「急に食べ物が変わると体に悪いから現地の物は食うな」とアダムが言った。光太夫と磯吉はかまわず新鮮な魚や 野菜をむさぼり食った。律儀な小市は言われた通り船の保存食を食べ続けたので、かえって病気になり死んでしまったのだそうな。
小市の遺品は伊勢に送られ、 展覧会が開かれ多少の収益があったようだ。
七155-275九30-45,70-93,180-185,248-256,264-271十5-17,31-39,136-158,182-202,252-263十一33-49,187-188,202-211,250-255,266-270,281-283十二68,229
小市の妻/ 大黒屋光太夫 / 磯吉 / 新蔵 / 庄蔵 / 三五郎 / 九右衛門 / 次郎兵衛 / 清七 / 幾八 / 藤助/ 藤蔵 / 与惣松 / 勘太郎 / 長次郎 / 安五郎 / 作次郎 /アダム・ラックスマン

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