よしおこうざえもん吉雄永章
長崎へ留学したおりお世話になった通詞さん・吉雄永章
良沢・子平・江漢たちが世話になった長崎通詞。号は耕牛。
享保九年生まれ。父の藤三郎は江戸でケイヅルの助手をやったり昆陽・元丈の研究に 協力したりしており、その過程で吉雄家に蘭学知識が蓄えられたのだ。
長崎通詞の語学力が「蘭学事始」に書かれているほど貧弱でなかった事は次第に明らかになっている。 耕牛もただの通詞ではなく自ら吉雄流医術の一派を開き、弟子は五百とも千とも言われた。「おらんだ正月」も実は彼がオリジナルである。
前野良沢が殿様にもらったのと同じ内科書を吉雄も所持していて、ひそかに翻訳していた。実のところ良沢の翻訳を保証できるだけの能力はあったようだが、 寛政二年に誤訳の容疑で同僚ともども処罰された。これに泡を食った玄白たちは長崎との関係を隠すようになったらしい。
寛政十二年没。弟子(志筑忠雄など) の世代から長崎通詞の文法研究は飛躍的に発達し、普通に読み書きできる人がたくさんいた。
五72-96,132,148-151,241六17,26,87-104,131-144,199-200七7,73,123-125十二160
幕末九41
片桐一男「江戸の蘭方医学事始」(2000.丸善ライブラリー)
前野良沢/杉田玄白/青木昆陽/ぺニョブスキー /林子平/ヘイト/ツンベリー/平賀源内/西善三郎/司馬江漢/荒井庄十郎

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