やまぐちてつごろう山口高品
生年不明だが越後の農家出身らしい。田沼の命で普請役として蝦夷地調査に赴き「蝦夷拾遺」を提出。
定信にクビにされて人生終わった、 と思ったらここからが凄い。美濃郡代手代を経て寛政五年、武蔵・下野方面五万石の代官に抜擢された。
天明飢饉で崩壊した関東農村部を再建するため、 那須郡八木沢村を中心に間引き禁止・年貢減免・移民誘致・灌漑工事(山口堀と呼ばれ今も残る)などの大活躍。さらに他所の代官と協同して「八州廻り」の創設を建議した。 惜しまれつつ文政四年没。栃木では郷土の偉人として伝記が出版されたりしている。
息子は出来が悪く、大一揆を引き起こして罷免された。「夢酔独言」に この2代目が少し出てくる。
八108-114,166-188,204-206,221-222,245-251九15-20,68-69,130-137,145-146十207,219-221十一20,26-27十二51,208十三55
幕末一92-93
西沢淳男「代官の日常生活」(2004.講談社選書メチエ)・「江戸時代人づくり風土記9・栃木」(1989.農村漁村文化協会)・ 勝小吉「夢酔独言」(1969.平凡社東洋文庫)
最上徳内/田沼意次/松本秀持/工藤平助 /松平定信/青島俊蔵/庵原弥六/大石逸平/ 国定忠治/勝小吉

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