あおしましゅんぞう青嶋政教
「寛政譜」には名前がない。会田安明の徳内伝では元松本秀持家臣で、なんと平賀源内の弟子だという。
前職は長崎で俵物御用(ナマコとか) を務めていて「光被録」という著作がある。天明三年普請役として蝦夷地調査に赴く。田沼失脚で開拓も取りやめになり、その後帰村していた。クナシリ・メナシの乱を いち早く幕府に通報し徳内と調査に行くが、松前藩と内通の容疑で逮捕。寛政二年獄中で没。遺体は取り捨てになり行方不明。
八108-114,166-188,204-206,221-223,245,249-251九15-20,68-69,139-146,186-188十77-78,95-113,202-206,212-216十一20-27,172十二208十三55十四209
幕末 一12,92-94五209
C・島谷良吉「最上徳内」(1977.吉川弘文館人物叢書)・「森銑三著作集5」(1971.中央公論社)
最上徳内/田沼意次/松本秀持/平賀源内/ 工藤平助/松平定信/佐藤玄六/庵原弥六/ 大石逸平/山口鉄五郎

目次へ戻る