かつこきち勝惟寅
俺がかなわねえただ一人のお侍え、わしより年下の叔父御
男谷平蔵の三男。誤解されやすいが養子に入った勝家は微禄(四十一俵二合六勺九才二人扶持。何でこんなに細かいんだ。ギャグか?) ながら三河譜代の旗本である。寛政重修家譜にも登録されており、登城してお目見えできる身分なのだ。
自伝「夢酔独言」は名著だが色々疑わしい所があり、 小松重男「喧嘩侍・勝小吉」では徹底的に考証している。
なお、十四歳で家出したとき話を聞いて許してくれたのが石川将監。
十三52,71-73十五12-19十六39,85十七71十八186-195,262-263二十212-216
幕末一35二十三170
C・小川恭一他編「江戸幕府旗本人名辞典第2巻」(1989.原書房)・勝小吉「夢酔独言」(1969.平凡社東洋文庫)
遠山金四郎/石川将監/島田虎之助

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