ナポレオン・ボナパルト
「レ・ミゼラブル」でテナルデとポンメルシー男爵家の悪縁をつないだ責任者。「風雲児たち」の方にはほとんど出てこないが、 どうせだからこの漫画の物語と彼の人生を対照してみよう。

高田屋嘉兵衛に半年ほど遅れてナポレオンが生まれた(1769年)。
オスカルが青年将校ナポレオンと会って何かビビッときていたころ、松平定信は林子平と会って何かカチーンときていた(寛政二年)。
鼠小僧が生まれたばかりのころ、 ナポレオン将軍は既に「モナリザ」をイタリアから泥棒していた(1797年)。
皇帝ナポレオンは2世が生まれた記念にその年のブランデーを「ナポレオン」と名づけた。 同じ頃に佐久間象山も生まれ、こっちもあとで「象山正宗」という地酒になった(文化八年)。
杉田玄白が「蘭学事始」を書き終えたころ、ウィレム二世とスチューレルはワーテルローでナポレオンと戦っていた(1815年)。
伊能忠敬が遺した日本地図が完成するのを待たずしてナポレオンは死んだが、そんなこと知らずに高野長英は浅草でゴロゴロしていた(文政四年)。

※小関三英はリンデンのナポレオン伝を翻訳していたが、蛮社の獄で死んじゃったから初篇しか刊行されなかった。つまり佐久間象山は連戦連勝で景気のいい頃のナポレオンしか 知らなかったのだ。
※※江川太郎左衛門は無敵ナポレオン軍の秘密がパンだと思っていたが、実際はビスケットが重要であった。それも次の町へ辿り着くまでのつなぎで、 たいがいは何でも現地にあるものを略奪して食っていたようである。イタリア遠征ではリゾットも食べていたんだろう。
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長塚隆二「ナポレオン上・下」(1986.読売新聞社)・みなもと太郎「レ・ミゼラブル」(2004.ブッキング)・ 池田理代子「ベルサイユのばら」(各社)・岩下哲典「江戸のナポレオン伝説」(1999.中公新書)・クレフェルト「補給戦」(2006.中公文庫BIBLIO)
高田屋嘉兵衛/松平定信/林子平/次郎吉 /杉田玄白/ウィレム2世/スチューレル/伊能忠敬/ 小関三英

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