いのうただたか伊能忠敬
延享二年、下総生まれ。漫画にあるような曖昧な少年期を経て、佐原の重鎮となり、隠居後江戸に行って高橋至時の弟子になる。
最初蝦夷地へ 測量に行ったのは地球の大きさを測定するためだったのだが、幕府はそのクオリティに驚き「どうせなら日本全部測量せよ」と命令した。
伊能図の測量はたくさんの人々に支えられた事業である。幕閣でもっとも伊能に便宜を計ってくれたのは、伊達宗村の子・堀田正敦。民間で最大の協力者は、 三番目の妻の父だった仙台藩医桑原忠朝だが、この人は工藤平助の義弟でもある。北海道内陸部などは間宮林蔵が引き受けた。
測量旅行中の忠敬は直弟子と幕府天文方役人たちとの確執に苦労させられた。親代わりとして高橋景保の放蕩にも悩んでいた。 地図完成を目前にして慢性気管支炎からくる老人性肺炎で文政元年没。
六194八118十二83,115,124-154,158,213-214,219-221,257,287-293十三55-61,206十四50十七222
幕末一95-96
A・渡辺一郎「伊能忠敬測量隊」(2003.小学館)・杉浦守邦「江戸期文化人の死因」(2008.思文閣出版)
伊能魚彦/高橋至時/高橋景保/間重富 /間宮林蔵/伊達宗村/工藤平助

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