うぃれむにせい | ウィレム=オラニエ2世 |
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1792年、フランス革命真っ最中に生まれ、その後自国を侵略され、若いころは大部分国外に逃げていた。ワーテルローの戦いにも参陣してるらしいが特に手柄はない。
兵士たちがつけた綽名は「ひげのウィリー」。 やっと独立を回復したら今度はベルギーに独立され、お先真っ暗の状態で即位。在位は1840-1848とわずかの間に新憲法発布・責任内閣制 ・直接選挙などを導入して1849年没。王妃がアレクサンドル1世の妹。 天保十五年日本に親書を送って開国を勧めたが拒絶された。…というのが通説だが、これは バタビヤ役人ファン=デル=シェイスによる後年の政治的主張。他国からの「なぜもっと早く日本を開国させなかったか」という非難に対する言い訳である。 当時 オランダは幕府が出した薪水給与令の真意を測りかねていた。他国が開国宣言とカンチガイして日本に押しかけ、まかり間違って戦争にでもなったらオランダも巻き込まれて 迷惑なのである。戦争する金はないし。 いわゆる開国親書をよく読むと、積極的に開国しろとは書いていない。Aアジアの国際状況を理解しているか、B薪水給与令は ただの危機回避策なのか開国の前段階なのか、を問い質しているだけだ。そしてC出島貿易のついでに情報提供する(風説書)やり方では不都合だから、正式に公使を置いて 政府同士で意思疎通出来るようにしたらどうか、と提案している。 結局「今までの方針を続ける」という幕府の意思を知って最低限の目的は果たしたのだが、他国に 薪水給与令を知らせる事をしなかった。おかげでジョン万次郎たち漂流民が難儀したのである。 | |
十八6-10,163-166十九135二十164 幕末四24三十190 | |
「世界皇帝人名事典」(1977.東京堂出版)・アルバート=A=ノフィ「ワーテルロー戦役」(2004.コイノニア社)松方冬子「オランダ風説書と近世日本」(2007.東京大学出版会) | |
阿部正弘/水野忠邦/スチューレル |