のろげんじょう | 野呂実夫 |
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号は連山。元禄六年、伊勢に生まれる。山脇東洋の父に東洋とともに医学を学び、また稲生若水に本草学を学んだ。 そのころ日本は生薬・砂糖などを 輸入品に頼っており、貿易赤字は大変なものだった。徳川吉宗は日本にある物産ならそれを使い、なければ海外から移植しようと考え、稲生一門を調査に動員した。野呂も 町医から幕府に取り立てられ、日本全国で薬草探索に従事していた。 そのうち青木昆陽と共にオランダ語の研究を命じられ、長崎通詞の協力でドドネウスの植物図鑑を 翻訳(図版と簡単な説明文だけだが)した「阿蘭陀本草和解」を寛保元年献上している。のちに幕府寄合医師に任じられた。 宝暦十一年没。 | |
四112-113七6 | |
A・「日本思想大系・洋学上」(1976.岩波書店)・土井康弘「本草学者・平賀源内」(2008.講談社選書メチエ)・片桐一男「江戸の蘭方医学事始」(2000.丸善ライブラリー) | |
徳川吉宗/山脇東洋/青木昆陽/西善三郎/ 吉雄幸左衛門 |