いどいわみのかみ井戸弘道
生年不詳。井戸氏の先祖は大和の筒井順慶に仕えていた井戸城主で、朝鮮出兵に参加した折むこうで茶碗を略奪してきて、秀頼と家康に献上した。 これが「井戸茶碗」というブランドの語源になったとかならないとか。まあとにかく井戸一族はちょっとした名門であり、徳川旗本に数家が存在する。
弘道さんはその中の分家筋らしく、使番などを経て嘉永六年四月浦賀奉行に任ぜられたと思ったら六月にペリーが来て、あわてて江戸から国書を受け取りに行った。 有能な人物ではあり、海防掛大目付に昇進してさあこれからというところで安政二年急死。
※二度目のペリー来航で林大学と共に交渉していたのは、 本家筋の井戸対馬守覚弘という別人。この人も後に大目付になっているので、ややこしいったらありゃしない。
幕末六83-84(対馬守の方)
A・C
ペリー/阿部正弘/筒井左膳/豊臣秀頼/ 徳川家康

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