とくがわいえよし徳川家慶
上様
徳川幕府十二代将軍。
世襲君主としては健康な男子を作れなかったのが最大の失策であり、後継者問題では越前を疎んじ水戸を重んじたのが 幕末動乱の遠因になったと言える。また政治はほぼ水野→阿部に一任し「そうせい公」を貫いたから無能と思われている(あと変な肖像画も)が、個人的には明敏で 度量が大きく、近臣の七代桂川甫周や木村芥舟には偉大な主君として記憶されていた。
当時貧乏のどん底だった桂川家の苦境を察し、自ら仲人となって富裕な木村家 との婚姻をまとめたのが家慶で、後にその縁で福沢諭吉が咸臨丸に乗れたのである。
十四217十五5-7,15,58,230十六162-174,177,213十七46,109-111,181-183,189,194,247,267-269十八11-12,23,242十九33
幕末一97三186-187四18-20
A・今泉みね「名ごりの夢」(1963.平凡社東洋文庫)・「旧幕府(明治三十二年分に木村芥舟「読逸事史補」を収録)」(1971.原書房)・久住真也 「幕末の将軍」(2009.講談社選書メチエ)
徳川家斉/徳川家定/水野忠邦/ 遠山金四郎/阿部正弘

目次へ戻る