おおぎまちきんあき正親町公明
延享元年生まれ。正親町家は西園寺の分家のそのまた分家で、実は岩倉と同クラスの「羽林」だった。しかし祖父が子沢山で、あちこちに養子・嫁を 送り込んでいたのでなかなかの勢力になったのだ。また正親町家は垂加神道(古神道に儒教の体系を取り込んで政治思想化したもの)の大御所でもあり、尊号一件の代表者に なるのが当然であった。
最高で正二位まで進んだが、尊号一件を画策し、江戸に呼びつけられたあげく出家させられる。しかし宮中で没落したわけではなく、孫娘が 仁孝天皇の側室になって孝明天皇を生んだ。文化十年没。
※幕末八十八列参に参加した正親町三条実愛は、三条家の分家が正親町に引っ越した家系 (のちに嵯峨と改姓)で、公明の子孫ではない。
十一138,140,221-224,232-234,239-244,246,271-274,297十二78-79十八214
幕末十四30十六177
G・藤田覚「江戸時代の天皇」(2011.講談社)
中山愛親/鷹司輔平/高山彦九郎/林子平/竹内式部/岩倉具選/松平定信/光格天皇

目次へ戻る