たかつかさすけひら鷹司輔平
元文四年生まれ。鷹司家は近衛の分家だが、輔平は実は閑院宮直仁親王の末子で、春日大社のお告げだかで鷹司の養子になったのだった。 すなわち彼は光格天皇のおじさんなのである。
皇室系図参照
天皇との縁から最高で従一位・関白まで進み、当然尊号問題でも中心人物だったが、上京した定信と腹を割って話したらしく、朝幕融和の立場を取るようになった。 寛政三年出家。かついだ神輿に「勝手にかつがんといてや」と言われちゃ事態は沈静化するしかなかった。
文化十年没。
十一138,220-223,232,241-243
幕末九177十四43
G・官公庁資料編纂会「日本皇室大鑑」(1978.日本文献編纂会)・藤田覚「江戸時代の天皇」(2011.講談社)
光格天皇/中山愛親/正親町公明/岩倉具選/松平定信

目次へ戻る