たけのうちしきぶ竹内敬持
正徳二年生まれ、町医の子。垂加神道を学び、徳大寺家に仕えて士分となった。学問振興で朝廷を復興しよう!と若い公家に訴えて大人気となり、 天皇に御進講する話まで出たが、旧神道の家元・吉田家を敵に回してしまう。
式部は三国志オタクでもあったらしく、講義しているうち話は「出師の表」に横滑りし、 はては孔明の八門遁甲陣を解説してしまった。公家に軍事を教えるのはもちろん御法度である。
訴えられて追放刑(宝暦事件)、さらに明和事件に巻き込まれ八丈に流罪。 途中三宅島にて病没。
南信州に落ち延びて天龍道人を名乗りユートピアを作ったという伝説があり、国枝史郎はこれをもとに小説を書いている。
幕末一78
A・藤田覚「天皇の歴史6」(2011.講談社)・「日本人名大事典4」(履刻1979.平凡社)・国枝史郎「娘煙術師」(講談社文庫)
山県大弐/蒲生君平/高山彦九郎

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