こうかくてんのう | 兼仁 |
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明和八年、閑院宮典仁親王の第六王子として生まれる。後桃園天皇のあと直系が絶えたので、安永八年皇位に奉戴された。
直系でないから余計「天皇」であることにこだわったのではないか。 もはや天皇が天皇と名乗れないほど衰微しまくっていた皇室を立て直すため御尽力された。尊号一件では敗れたものの、論争を通じて「政権は幕府が朝廷から預かって いるもの」という認識は一般化した。また幕府に要求して焼けた御所を600年前の様式で再建、さらに旧例を研究し賀茂祭など古い儀式を復活させた。彦九郎が言っていた 学問所も次の仁孝天皇時代に実現した(のちの学習院)。 文化十四年譲位。晩年お世話をした京都所司代が若き水野忠邦で、「国政を任せられる器」との御感あり、 秘蔵の笙を形見分けされた。天保十一年崩御。 | |
九238,260十一90-91,217-246十八214 | |
A・官公庁資料編纂会「日本皇室大鑑」(1978.日本文献編纂会)・藤田覚「江戸時代の天皇」(2011.講談社)・北島正元「水野忠邦」 (1969.吉川弘文館人物叢書) | |
高山彦九郎/林子平/松平定信/鷹司輔平/中山愛親/水野忠邦 |