くさかべいそうじ日下部信政
薩摩藩士だった父・海江田連が江戸屋敷を讒言により追われ、名を変え水戸に隠れていた時に生まれた。成長して学校の手伝いなどをしていたが、 斉昭の取り成しにより斉彬に会い薩摩藩に復帰。名を変え川路たちの対露交渉団にもぐりこむなどの陰働きをしていた。水戸とも関係は続き、攘夷運動にのめりこんでいった。
京で密勅降下に奔走するなどしていたが、逮捕され獄死。
父子の死後、未亡人は親しかった有村家の俊斎を婿養子に迎え海江田家を存続させた。すなわち 貴族院議員・枢密顧問官の海江田信義である。
幕末十六52-53,184十八7,21-23,113,183-184十九56,137,145三十一132
D・吉田常吉「安政の大獄」(1991.吉川弘文館)・東郷尚武「海江田信義の幕末維新」(1999.文春新書)・宮内省編「修補殉難録稿・前」(1933.吉川弘文館)
島津斉彬/鵜飼吉左衛門/鵜飼幸吉/安島帯刀/ 藤田東湖/戸田忠太夫/山本貞一郎

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