とだちゅうだゆう戸田忠敞
※忠太夫とは斉昭にもらった名で、元の通称は銀次郎、号は蓬軒。
文化元年生まれる。藤田東湖と同じような経緯で水戸斉昭の側近になるが、 改革派は藤田家など新参者が多い中で、譜代衆の中から出た協力者というところが貴重な存在だった。温厚謹直な忠太夫が上では斉昭を諌め、下では藩士を抑えてようやく 水戸の秩序が保たれていたのだ。それなのに安政二年に地震で死亡。
幕末九201十六44
D・長山靖生「天下の副将軍」(2008.新潮選書)・北條猛次郎「水戸学叢書・維新水戸学派の活躍」(昭和17.1997復刊.国書刊行会)
安島帯刀/藤田東湖/水戸黄門

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