やまもとていいちろう山本弘素
信州松本の豪商の次男に生まれた。もともと信濃は平田国学が根強く、また実家が水戸と取引していた関係で勤皇に目覚めたらしい。 山本村の久保田家に養子へ行き、天保飢饉では救民に尽力した。その後江戸浅草に移住し山本姓を名乗る。
水戸家に水・尾・越三家宥免の周旋を依頼され、歌人を装い 兄と共に上京。京と水戸の連絡係を務めていたが逮捕前に病死(長野の郷土史家は覚悟の自決と主張する)、兄の近藤茂左衛門が逮捕された(長野の郷土史家は彼こそ逮捕第一号 と主張する)が、こちらはどうにか明治11年まで生き永らえている。
幕末十六185十八183十九25
D・「長野県史通史編第六巻近世三」(1989.長野県史刊行会)・吉田常吉「安政の大獄」(1991.吉川弘文館)
梅田雲浜/小林民部/梁川星巌

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