はやしじゅつさい林衡
松平徳詮
林家当主。岩村藩主の三男から林家の養子となる。昌平坂学問所を官営化し異学の禁・学問吟味などに関わる。
儒教のみならず天文方など 幕府の文部科学全般が林家の管轄で、高橋景保に世界地図製作を命じたりしている。西洋を嫌っていたとしても無視したわけでなく、昌平坂には外国科がちゃんとあるのだ。 ほかに「徳川実記」など多くの編著書がある。
また岩村時代に甲府藩が作った「百姓身持之覚書」を発見し、幕府の「慶安の御触書」として出版。実はあれが 世に広まったのは天保になってからの事なのだ。
プライベートでは結構風流人で、金さんの父など交友は広い。大田蜀山人も若い頃からの遊び友達で、 庶民向け啓蒙書の仕事を回してあげたりしている。金に困っていた時は大塩平八郎が一千両融通してくれたのだが、大塩は江戸でのポスト斡旋を期待していたとの説もある。
天保十二年没。鳥居耀蔵は次男、ペリーと交渉した林復斎は三男、外国奉行の岩瀬忠震と堀織部正は外孫。
十三205-208,218-219十五219-226
A・山本博文他「こんなに変わった歴史教科書」(2011.新潮文庫)・松岡英夫「鳥居耀蔵」(1991.中公新書)・徳富蘇峰「近世日本国民史・堀田正睦(一)」(1981.講談社学芸文庫)
林羅山/松平定信/遠山景晋/大田蜀山人/佐藤一斎/大塩平八郎/林大学頭(幕末編の)

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