はやしらざん林信勝のち忠
羅山とは広東省にある宋学の聖地・羅浮山にちなむ。通称は又三郎、僧としての法名は道春。
天正十一年生まれ、最初は建仁寺で臨済禅を学ぶが、 儒教のほうが将来性ありそうなので脱走。藤原惺窩に朱子学を教わり、京で庶民に教えていた。
慶長時代に家康に認められ仕官し、朝鮮との外交などに活躍する。 以降林家は幕府外交の責任者ということになっており、鳥居耀蔵が海防問題に執着していたのもそのためだろう。
時代劇だと家康のあらゆる策謀に知恵を出した事になっているが、 実際はそんなことはない。一番大きな仕事は、多くの典籍に新しい訓点・注釈をつけて漢学を学びやすくした事だ。独創的な思想はないにしても世間に通じ雑学が豊富で、 難しい問題を整理して一般人に分かりやすく解説することができた。現代に生まれてればニュースキャスターにでもなっていたのでは。
寛永六年、民部卿法印になる。 寛永七年、上野に開いた私塾がのちの昌平坂学問所。公務のかたわら幅広い執筆活動を続ける。「神武天皇論」では神話を疑い、天皇家は大陸からやって来たと主張した。 手塚治虫「火の鳥」の先駆といえる。また神道研究の名目で多くの怪談を記録した。水木しげるの先駆ともいえるのだ。
明暦の大火で蔵書が全部燃えてしまい、 ショックで四日後に死去。
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A・鈴木健一「林羅山」(2012.ミネルヴァ書房)
徳川家康/林述斎/林大学頭(幕末編の)

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