うめだうんぴん梅田定明
元は矢部姓、小浜藩士の子。学に志して江戸に修行に行ったが、帰ってみれば父は藩を飛び出してどっかいっちゃっていた。ここから貧乏人生が はじまる。
親戚の家で薪割りなどやりながら苦学し、京に上って祖父の梅田姓を名乗り学者として頭角をあらわす。(号の「雲浜」は小浜にある地名で、ここには中川 淳庵の実家があった)大津藩儒の上原甚太郎は彼を認め娘を嫁がせたが、経済援助はあまりしてくれなかったらしく、結局妻も二人の子も病苦の果てに死んだ。
大事をなすにはまずお金だと痛感した雲浜は、アヒルの牧場を作ってキツネに喰われたりした。大和商人の娘と再婚し実家の出資でブローカー業をはじめ、これが結構成功 した。長州へ取引に行った時松下村塾に立ち寄り、塾の表札を書いてあげた。これが結果として松陰を殺す事になる。
プチャーチンが大坂湾に来たころから攘夷運動に のめりこみ、密勅降下運動に関わって「悪謀の問屋」とされた。ついに逮捕されるとき、今さら家族の身を案じた雲浜は「妻は病に臥し子は飢えに泣く」と壁に書きつけた。 松陰を巻き添えにして安政六年獄死。
幕末六8-70,120,133-138七21,66-72十一207十四25,57,100十五58,172十六28,52-55,118十七95,111十八7,24,34-40,113,126-130,183十九56,145二十二103二十八18
A・「増補殉難録稿前篇」(1933.宮内省)・木村幸比古「京都幕末維新隠れ史跡を歩く」(2005.淡交社)
吉田松陰/マシュウ・カルブレイス・ペリー/中川淳庵/ 頼三樹三郎/梁川星巌/小林民部

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