やながわせいがん梁川孟緯
寛政元年美濃生まれ。江戸に出て山本北山(異学五鬼のひとり)に漢学を学ぶ。
また従妹で押しかけ女房の紅蘭と文政五年新婚旅行 (正確には結婚三年後の夫婦旅行)に出かける。これは坂本龍馬より小松帯刀よりも早い。西国に遊び頼山陽たちと交流した。
天保五年、神田に玉池吟社を主宰し 江戸一番の文学サロンにする。佐久間象山など友人・弟子は数知れず、後に逮捕する側になった間部詮房も実は弟子の一人。
それまで江戸漢詩は平明な宋詩を手本と していたが、星巌は唐詩のロマンティシズムをもちこんで革命を起こした。そのロマン主義がやがて歴史とか政治に向っていったのである。
弘化元年江戸を去り、 翌年京に入る。尊王攘夷運動に参加し、子供の頃から知っている三樹三郎たちと一緒に水戸への密勅降下などで運動した。安政の大獄で逮捕寸前に急死。 師を縄にかけたくなかった間部がひそかに自決を勧めたともいう。
十九92
幕末六25-26十四25,64,100十五143,172十六28-31,52-55,116十八183
A・富士川 英郎 「江戸後期の詩人たち」(2012.平凡社東洋文庫)・大原富枝「日本の旅人12・梁川星巌・紅蘭」(1973.淡交社)
頼山陽/頼三樹三郎/梅田雲浜

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