らいみきさぶろう頼醇
頼山陽の三男として文政八年京都に生まれる。江戸に行き昌平坂学問所に入学。しかし親譲りの飲んだくれで問題となる。
ある日三樹三郎は上野へ花見に行った。寛永寺を見ているうちに「皇居より立派な寺を建てるとはけしからん!」と怒り出し、石灯籠を不忍池に叩き込んで捕まった。 もちろん退学処分となる。
京都に戻り、梁川星巌に師事。詩塾を開いていっぱしの名士となった。文才はあったはずだが、 原稿が大獄のためほとんど散逸しており実態がよくわからん。
条約勅許・将軍継嗣問題に首をつっこみ逮捕された。安政六年処刑。
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幕末十四25,100十五59,172十六28,52-55,187十七25,73,111十八7,23,113,201十九44,72-77,145二十二30二十九164三十一132
A・宮内省編「修補殉難録稿・前」(1933.吉川弘文館)・吉田常吉「安政の大獄」(1991.吉川弘文館)
頼山陽/吉田松陰/梁川星巌/梅田雲浜

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