たちはらなにがし立原久大
通称・源太兵衛。詳細は不明だが、かつての彰考館総裁・立原翠軒の一族かもしれない。
安政五年九月、江戸に行こうとして小金駅で遮られ、 激昂して腹を切ろうとした。その時は仲間に止められ助かったが、翌年五月八日また腹を切って絶命。享年二十九。

※この人とは関係ないんですがね、平田弘史作品でいったいどれだけ切腹シーンがあるのかと思って調べてみました。手持ちの単行本16冊で切腹・自決したのがはっきり確認できる者は144人。 29ページに一人が腹を切ってる計算だ。(「つんではくずし」終盤などを考えるともっとある)
幕末十五138-140十六148-149
宮内省編「修補殉難録稿・後」(1933.吉川弘文館)・徳富蘇峰「近世日本国民史・桜田事変」(1984.講談社学芸文庫)
安島帯刀/藤田東湖/戸田忠太夫/鵜飼吉左衛門/鵜飼幸吉/山本貞一郎

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