ニコライ=ペトローヴィチ=レザノフ
1764年生まれ、はじめ陸軍に入り宮廷の官房長に転じた。東方経営の豪商シェリホフの娘婿になり、カムチャツカ―アラスカ航路の中継基地として日本開港を計画した。 クルーゼンシュテルンの世界一周計画を乗っ取り、津太夫を連れて1804年日本来航。
長崎でさんざん待たされたあげく金さんの父に門前払い。 レザノフはこれをドゥーフの策動と思っていて手記で罵っている。これにはドゥーフも自分の著書で反論している。
部下にあいまいな指示を残してロシアに戻るが、 1807年クラスノヤルスクで没。同地には近年レザノフ公園が作られたという。
※日本で貿易できなかったレザノフは、アラスカ用の物資を調達するために当時スペイン領のカリフォルニアに行った。 そこで知事の娘コンチータといい仲になり、そのロマンスが後世ロックオペラになった。現代ロシアではこっちの話で有名な人みたいである。
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F・生田美智子「高田屋嘉兵衛」(2006.ミネルヴァ書房)・石巻若宮丸漂流民の会編「世界一周した漂流民」(2003.東洋書店)・木崎良平「漂流民とロシア」(1991.中公新書)
津太夫/新蔵/クルーゼンシュテルン/アレクサンドル一世 /遠山景晋/ヘンドリック・ズーフ/バシリー・ミハイロヴィッチ・ゴローニン

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