※Doeffはドゥーフとかドゥフとも表記する。また父もヘンドリック名だったので、1806年までうしろにユニア(Jr.)をつけていた。
1777年アムステルダム生まれ。最初出島では書記官だったが、だんだん出世して1803−1817のオランダ商館長に昇進。喜びもつかのま、ナポレオン戦争で国がなくなり 14年間出島に留まることになった。
彼は自分の仕事に狂的なまでに執着する性格で、さらに熱烈な愛国者だった。ドイツ人ケンペルの 「鎖国論」もオランダ人の資料提供によるものだと主張していた。まあそれでこそ出島にオランダの旗を立て続けることが出来たのだろう。もっともレザノフや ゴローニンには、謀略を尽くして日露交渉を邪魔した悪党呼ばわりされている。
バタビア政庁を接収したイギリスは、ズーフの元上司を派遣して出島を引き渡すように 説得させた。しかしオランダ東インド会社は1800年に解散しており、以後出島は本国政府の直属機関になっていたのだ。「俺らは独立愚連隊だからバタビアの指令に従う いわれはない」という理屈で説得をはねつけ、ズーフはあくまでオランダ人としてイギリス商品を仲介貿易して食い扶持をかせいだのだった。
ズーフは蘭日辞書の 編纂にも協力した。帰国時にその「ズーフハルマ」を一組持って行ったのだが船が難破してなくしてしまった。後から持ち帰ったシーボルト一派が蘭日ひっくり返して自分の 日本語辞書として発表したため大ケンカになった。
とにかくズーフは功績を認められて獅子騎士勲章をもらった。晩年は新しく作られたオランダ貿易会社の顧問として 対日貿易に助言していた。1835年死去。
十二258-259,275,286-287十四25十九22
幕末九48
F・「ドゥーフ日本回想録」(2003.雄松堂出版)
稲村三泊/奥平昌高/遠山景晋

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