バシリー・ミハイロヴィッチ・ゴローニン
1776年、リャザンの地主の家に生まれた。海軍兵学校で教わった先生がニコライ・クルガーノフという有名な啓蒙家で、 彼は深い知識と文章力を身に付けることができた。
1807年に世界周航を命じられ、その途中ケープタウンで英軍に捕まった。1年半後に脱出したが、 そのあと日本に立ち寄ったらまた捕まった。二年の間、通詞・馬場佐十郎にロシア語を教えたり間宮林蔵に絡まれたりで退屈はしていない。高田屋嘉兵衛と交換でやっと解放。
帰国後もアラスカ調査などよく働いて中将まで昇進し、1831年没。著書「日本幽囚記」は早くも文政八年に幕府の邦訳する所となった。
※ 息子のアレクサンドルは後に文部大臣まで出世し教育改革に貢献している。
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F・中村喜和「おろしゃ盆踊唄考」(1990.現代企画室)・「ロシアの木霊」(2006.風行社)・洞富雄「間宮林蔵新装版」(1986.吉川弘文館人物叢書)
間宮林蔵/リカルド/高田屋嘉兵衛

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